https://www.city.kitakata.fukushima.jp/site/iwako/
喜多方が生んだ社会慈善家、瓜生岩子刀自(とじ)。
(ウィキペディア)
戊辰戦争(1868)の時に、敵味方の区別なく負傷者の手当てに奔走。日本のナイチンゲールと言われています。
原子力発電所の事故が発生しても、パニックや暴動が起きない、世界でも類い希な人達が住んでいる福島。
その福島の人達の慈悲深さ、我慢強さ、実直さの源をつくってきた先達の一人を感じてみて下さい。
掲載写真出典元:
喜多方市担当部署の御承諾を受け、喜多方市ホームページと同じものを使用しております。
http://www.noguchihideyo.or.jp/
福島を代表する世界的に有名な医学者 野口英世を、思い出してみませんか。
苦難を乗り越え、勇気と情熱をもち生きた彼を思い浮かべ、福島の縁の地を是非訪れてはいかがでしょうか。
ホームページもたいへん見易く、勉強になるサイトです。
是非ご覧下さい。
八重の桜
新島八重が生きた時代を思い浮かべながら、福島の縁の地を、訪れてはいかがでしょうか。
□ 福島県観光交流局観光交流課サイト
http://www.yae-mottoshiritai.jp/
□ 会津若松観光ビューロー
八重の「ゆかりの地」をめぐるミニツアー
http://www.aizukanko.com/about/9/
□ 同志社大学関連サイト
http://www.doshisha.ac.jp/yae/index.html
上記、いずれのホームページも、見易く、歴史を学ぶ上でも勉強になるサイトです。
是非ご覧下さい。
山本覚馬
□ ウィキペディア
ウィキペディアサイトヘ
□ 同志社大学関連サイト
関連サイトヘ
会津藩士、砲術家にして、 新島八重の兄。
明治維新後は、京都府顧問として主に殖産興業や、新島襄(新島八重の夫)の同志社英学校の開業に協力したとされる。
西郷四郎
□ ウィキペディア
ウィキペディアサイトヘ
□ 会津若松市関連サイト
関連サイトへ
姿三四郎のモデルとされる柔道家。
小よく大を制す、柔よく剛を制すの見本となる方と思われます。
なぜ、柔道が、柔の道と書くのか、学んではいかがでしょうか。
現代はパワー柔道になり外国の柔道家が台頭しております。
それもまた時代の流れかも知れません。
歴史に名を残さずとも、
人知れず偉人はいる。
歴史に名を刻まなくても、ここに載せきれない偉人がいる。
自らの家族も犠牲になりながら、市民の捜索を続けた消防団員。
薬も器具も無い。それでも患者から離れなかった医師、そして看護師。
身の危険を顧みず、殉職した警察官。
家に家族を残し、被爆の危険を顧みず福島原発事故に立ち向かった消防士。
最後の最後まで避難放送を続けた役場職員。
嫌な顔一つせず、来る日も来る日も御遺体を収容した自衛官。
一分でも早く家族に会わせるため、身元確認を行った歯科医、そしてスタッフ。
自らの寒さを我慢し、隣の人に毛布を渡す人。
じっとしてられず、気がついたら現地にいたボランティア。
歴史の教科書には載らなくても、世に名前が一切でなくても偉人はいる。
誰にでも自分にとっての偉人はいる。
私は、そう思います。
そして、彼ら一人一人の名は知れぬとも、私は彼らを決して忘れない。
いつまでも・・・。
あなたは、どう思われますか。